【 先週末 】平成31年2月9日(土)
一昨年の2017年2月8日に、筋萎縮性側索硬化症(als)と診断されてから、昨日、2019年2月8日で丸二年、発症から数えると、少なくとも三年以上が経過したことになりますが、お陰様でラッキーなことに、これまでのところ致命的な事態には至っておりません。
そんな折、有り難いことに大学時代のアメフト部の友人達が、遠路遥々、山口県までお見舞いに来てくれました。
本日、お越し頂いた皆さんは、これまでにも、たびたび登場してもらってますので、簡潔にご紹介させて頂きたいと思います。
通称 たみお。
大分県在住で、大手住宅メーカーに勤務。
家族の中で、ただ一人だけ彼のことを構ってくれる存在であることから、唯一、心のよりどころにしていたタミオくんに激似の下のお嬢ちゃんも、昨年から中学生となり、コミュニケーションを図り難い多感なお年頃を迎えたようで、お父ちゃんは、以前にも増して、益々、家庭内で孤立してるみたいです。
そんな可哀想で孤独感に苛(さいな)まれているタミオくんは、つい先日、心の癒しを求めて行きつけのキャバクラで弾(ハジ)けてきたそうです。
ところが、迂闊にもワイシャツの襟元に、相手をしてくれたオネエちゃんのファンデーションをつけたまま帰宅したそうで、また、なんとも間抜けなことに、そのことをお嬢ちゃんに指摘されて初めて気がついそうです。
ホンマに、アホです。
悪臭を放つ汚物のような存在の父親。
心理的な嫌悪感を激しく抱いたようで、愛娘のお嬢ちゃんからは、放置されたままで引き取り手のない、生ゴミでも見るかのような眼差しで睨みつけられたようです。
「あっ、そうや、たみお!」
「例のキミのあの武勇伝は、どうしようか?」
「うちのカミさんも興味津々で、キミから直接、あの話聞くのを楽しみにしてたんやでぇ」
「エッ⁉︎ なんやて?」
「今日のところは勘弁してくれ、やて?」
「なんやねん、しょうもないなぁ」
「ほな、次回のお楽しみということで」
こんなタミオくんの現役時代のポジションは、高校・大学と一貫して、DB(ディフェンスバック)を担当していました。
通称 はっしー。
横浜市に在住で、大手企業に勤務の独身です。
米国ニュージャージー州在住で、僕達の共通の友人である藤田くんからの情報によると「 アイツは、45年間も独身でおるどころか、これまでに浮いた話すら一度も聞いたことがないから、きっと、けっこうな額を貯め込んどるはずや!間違いないわ!」とのことでした。
現役時代のポジションは、DL(ディフェンスライン)を担当。高校時代は、バレーボール部に所属し、キャプテンを務めていました。
通称 まろ。
大手総合商社に勤務し、去年の4月より東京から大阪へ転勤となり、現在は、梅田駅のお隣、地下鉄御堂筋線沿線の中津駅界隈で単身赴任生活を存分に満喫中。本拠は、埼玉県浦和市。
( ※ 注意 : 断わっておきますと、彼も同じく40代ではありますが、現在、テレビ等のマスコミで報道され、世間の注目を集めている、某共産国家に拘束された当該の人物ではありません)
高校時代はOL(オフェンスライン)とLB(ラインバッカー)を兼務し、大学へ入学後は、当初、LBを担当していましたが、チーム事情などから、OL(ガード)の経験を生かして三回生時よりFB(フルバック)にコンバートしました。
通称 のむ。
京都府宇治市に在住で、子育ての面などからも何かと都合が良いことから、自宅からアクセスの良い地元企業に勤めています。
現役時代は、OL(オフェンスライン)を担当。
卒業してから20年以上が経った現在でも、彼はレッドギャングのチーム運営において、決して欠かすことのできないない存在です。
試合会場における公式戦のチケット販売をはじめとして、その他にも、関西学生リーグの審判を担当するなど、OBの誰しもが敬遠しがちな業務を、過去、何年にも渡って一手に引き受けております。
僕達の年次の中では、間違いなく最もチームに貢献している人間です。
通称 みっちん。
大学を卒業後、大手工具メーカーに10年ほど勤めていましたが、その後、脱サラしてから修行と研鑽(けんさん)を積み重ね、現在は、新大阪駅の近くで鍼灸治療院を開業しています。
【 鍼灸治療院 道みち ↓ ホームページ ↓ 】
http://shinkyu-michi.com/
現役時代のポジションは、高校・大学時代を通じて、DL(ディフェンスライン)を担当。
ちなみに、現在も40歳以上を対象としたクラブチームに所属し、競技を続けているそうです。
あんなに痛い思いをするアメフトを、未だにやめらへんなんて、道端くんはホンマもんの変態(ヘンタイ)やと思います。
ド・M(えむ)です。
ではでは、カンパーイ!
頂きまーす!
「 とうとう、トンビがタカを生んだか・・・」
なんと!
マロ君ところの御子息が、東京の御三家と呼ばれて超有名な名門進学校から、今春、国内最高峰の、あの東京帝国大学に現役で入学することになるかもしれない、、、らしいです。
今、ネットで調べてみたのですが、同校の生徒5名のうち、1名は東大へ進学するみたいです。
例え話として、仮に高校一年生で中退(中卒扱い)したとしても、マロ君の息子さんは現在の高校に入学した時点で、間違いなく親父の学歴(甲南大卒)を楽勝で上回ってると思います。
これ、冗談抜きでマジ話。
いや〜、ほんまに、、、我々、同期一同、マロ君の奥様のDNAに、心より感謝です。
そう言えば、思い出しました。
入学の経緯を考えると僕がこういうことを言える立場にないことは、重々承知しておりますが、せっかくの機会なので言わせて頂きます。
あれは僕達が大学に入学して、まだ間もなかった頃、一回生時の必修科目の体育の授業か何かで、大学の近くを流れている住吉川沿いをランニングしたことがありました。
この時、僕達、甲南大生の集団は、下校中の灘高生(←当時、西日本エリアでは、東大への進学率が最も高い高校の生徒さん)の集団に遭遇しました。
すると、彼らは、我々が甲南大生であることを認識すると、ゲラゲラと大声で笑いながら、思いっきりアホ呼ばわりして野次ってきました。
僕は、この件で腹を立てたりすることなどはまったくなく、素直に彼らの言うとおりだなぁ、と思いながら、逆にこの状況を面白がって眺めていました。
ほとんどの甲南大生が僕と同じような様子で、自虐的に面白可笑しく笑いながらやり過ごしていましたが、中には、ほんの極一部ですが受験に失敗したのでしょうか、その灘高生に対して本気で激怒りしている甲南大生がいたことを思い出しました。
人は、自身が抱いているコンプレックスに関して図星を突かれると、本気でキレるんだなぁということが、この時、よく理解できました。
ほなねー。
お疲れさんでしたー。
ばいばーい。
「 親戚より、よう会ってるなー 」
これは、昨年の秋頃に東京でちょっとした集まりがあった際に、同じく甲南アメフト部で同期のユイト君が、僕に語りかけた言葉なのですが本当にそのとおりです。
一体、何なんでしょうか、この関係性は、、、
今から二十四年前、我々の大学が所在する神戸エリアを中心とした阪神間が、大規模な震災に見舞われた、あの困難な1995年。
我々が最終学年を迎えた四回生当時に就任された阿倉監督が、シーズン中、試合前のチームミーティングの場などで、たびたび部員に対して仰られていた『 運命共同体 』というワードがふと頭をよぎりました。
感謝感謝です、皆んな、ありがとう!