そう言えば、丁度、6年前は、まだ、兵庫県の西宮で生活してました。
当時、大阪の浄水場でも、放射性物質が検出されて、スーパーからペットボトルの、お水が、消えたことがありました。
あの時は、山口から、お水を送ってもらって生活してた事を思いだします。
この年の9月から、生活拠点が、宇部に移りました。
大きな、地震が起こると、僕の場合は、20年以上前に起こった神戸の地震を思いだします。
当時、自宅が大阪のマンションの7階で、就寝中に地震にあいました。
轟音と共に、体験した事のない衝撃を感じ、あり得るはずがないのですが、マンションの下にある公園が見えたような気がしました。
戦争が、始まったんだと思いました。
当時、関西で大きな地震が起こるなんて、誰も思っていませでしたから。
幸い、僕の自宅は、水道管が破裂した程度で済みました。
しかし、神戸にある大学に通っていた関係で、僕のまわりの友人やその家族、関係者はそういう訳には、いきませんでした。
翌日には、被災を免れた友人と共に阪急西宮北口から、線路の上を徒歩で大学まで、向かいました。
地震当日の夜になって、神戸方面の友人、何名かと連絡をとれる状態になり、必要なものを聞いて、皆で物資を集めて、阪急梅田駅に集合してからのことでした。
何を持っていったかな?
カセットコンロの代えのガスとか、十円玉、カロリーメイト、あと凄く記憶に残っているのが、牛乳。
誰が、オーダーしたのか思い出せないのですが、ソレ、今、必要か?と思った記憶があります。水でええんちゃうん?と。
昨年末、神戸で、たくさんの友人と食事をする機会がありました。
そこには、20年、ぶりくらいに会う友人も来ており、その友人と、当時の話をしたことを思い出しました。
強いな、と思いました。