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日本ALS協会山口県支部長のブログ。~ als20170208’s diary ~ 近況と日々の記録。

ALS界のレジェンド中野玄三さんからのご提言!

 

あれ?これ載せても良かったんかな、、、

まあ、いいや、もし怒られたらすぐに削除しよう。

じつは、現在ボクが使用している人工呼吸器ボクスン(VOCSN)の担当者が、佐賀県にお住まいでALS患者なら誰もが知る中野玄三さんも担当されている関係で、以下の「人工呼吸器に関する提言」をご本人さんの了承のもとご提供頂いたんです。で、このブログに載せることまでは了承頂いてないんやけど、せっかくやから、皆さんで共有したほうが良いかなと思い独断でアップしました。

以下、ご参照くださいませ。

 

暮らしを支える在宅人工呼吸 ~いかに、生活場面で使いこなすか?~

ユーザーからの提言 中野玄三

はじめに

ALS(筋萎縮性側索硬化症)は、中枢神経系の進行性の疾患であり、脳と脊髄に影響を与える神経細胞が徐々に機能を失うことによって引き起こされます。この神経細胞の損失は筋肉の弱化と萎縮を引き起こし、次第に身体のさまざまな機能が失われていきます。つまり、動くこと、話すこと、飲み込むこと、そして呼吸することが困難になります。

今から30年前、僕はALSと診断されました。この長い間、僕は一貫してALSを「重度障害」と捉え、その立場から日々の生活やビジョンを築き上げてきました。現在、人工呼吸器を付けているものの、生活の場面に応じて人工呼吸器の設定を変えることで多くの活動が可能となり、それが明るい未来への扉を開いてくれます。

・人工呼吸器との出会いへの背景

僕たちが在宅生活をスタートした時、周囲とのつながりが薄く、何が待ち受けているのか全く知識がありませんでした。しかし、僕と妻は常に前向きに未来を見据えて、これから我が身に起こる事をすべて想定内にしました。「これから我が身に起こる事」とは、動くことや話すことが難しくなり、食べづらくなって、人工呼吸器をつけて生活をすることです。

これからの人生で直面するであろう困難を全て受け入れ、先回りして対策を練ることを決意しました。例えば、僕たちは人工呼吸器を必要とすることを、車椅子を使用するのと同じように、単なる生活の一部として受け入れました。未知のものに対して恐れるのではなく、それをサポートとして利用することが、僕たちの生活の質を向上させる鍵だと感じていました。

この写真は、その頃の僕たちの姿。顔には決して絶望の色は浮かんでいません。

人工呼吸器をつけるまで

・病状の進行と心境

かつて僕は長く生きられないと見られていました。写真を見て、妻は「葬式3日前」と冗談めかして言うほどでした。特に、ある時期は呼吸ができるのは特定の姿勢のみで、夜眠ることが怖かった。その理由は、睡眠中に突然息を引き取るのではないかという不安からでした。

妻は毎日、1時間ごとに僕の様子を見て、寝返りを手伝ってくれていました。この過酷な日々は2年以上続いた。後に、「もっと早く楽な方法を選べたのでは」と思うようになった。それは僕の後悔の一つです。

一つの言葉が僕の選択を左右した。「呼吸器をつけたら今より大変になる」という言葉。テレビでの患者の苦しむ姿に接触し、その言葉が現実味を増していった。結果として、呼吸器を使用するのが遅れ、妻に大きな負担をかけてしまった。この選択の背景には、僕の弱さと誤解があった。

・初めて人工呼吸器の必要性を感じた瞬間

呼吸の苦しさが日増しに強くなり、ある朝、ヘルパーさんたち二人に支えられてトイレに向かった際、突如「息ができない」という圧倒的な感覚に襲われました。その極限の瞬間、深い恐怖を感じました。

ヘルパーさんたちは急いで妻を呼び、妻が駆けつけて「救急車を呼ぶ?」と問うたとき、僕は即答で頷いた。ベッドに移され、側臥位で安堵を感じると、僕の顔からは不思議と笑顔がこぼれた。

この時点で、仰向けには寝られず、病気の進行を実感していました。救急車を待つ間、ベッドで「もう呼吸器が必要だ」と感じ、敗北感という新たな感情が心に広がった。

人工呼吸器をつけた時

・設置の経緯

心の中で「呼吸器をつける」という決断を下して、救急車に乗り込んでいた僕は、大学病院への途中で複雑な感情に襲われました。

具体的には、口からの食事が難しくなるのでは、呼吸器への適応に時間がかかるのではないか、タンの吸引が頻繁に必要なのではないか、といった心配事が次から次へと浮かんできました。これらの不安は、過去に人から聞いた話やインターネットで読んだ情報に基づくものでした。しかし、後になって気づいたのですが、これらの情報の多くは正確ではなく、不安を煽るものばかりでした。

それにもかかわらず、喉頭を摘出し、呼吸器をつけるという決断を下しました。この決断には一切の迷いはなく、今もその選択を後悔していません。事実、喉頭を摘出したことで、僕の生活は大きく改善され、その選択が正しかったと心から感じています。

・初めての使用感

喉頭を摘出する手術が無事に終わり、麻酔から覚めたときは、人工呼吸器がつけてありましたが、何となく苦しさを感じました。ただじっと目を閉じているだけでも我慢が必要でした。でもそれは次第に不安へと変わっていき、「これでは寝たきりになってしまう」という恐れが心の中でずっと囁いていました。

医師や看護師さんにその苦しさを訴えても、「慣れる」ことが唯一の解決策として提示されました。しかし、そう言われるたびに僕は思いました。「慣れる」とは、今の生活をあきらめ、不便な状態に身を委ねることを意味するのではないかと。

だから僕は決心しました。我慢せず、人工呼吸器の設定を自身の生活に合わせて変更してもらうことにしました。そのためには医師とのコミュニケーションが不可欠で、ヘルパーさんを通して、自身の気持ちを正直に伝えました。そしたら、主治医は僕の訴えを理解してくれて、ようやく僕に合った設定を見つけることができました。

人工呼吸器をつけた生活

世の中には、経験しないとわからないことが多い。ALS患者の人工呼吸器装着も、その一例です。

長い間、僕は以下のような先入観を持っていました。

■1.人工呼吸器をつけたら、口から食事は難しい。

■2.呼吸器に慣れるまでに時間がかかる。

■3.呼吸器をつけると、生活に多くの我慢が伴う。

■4.痰の吸引が頻繁に必要である。

■5.外出が制限され、生活の自由が奪われる。

■6.経済的な負担が大きい。

■7.人工呼吸器を使用すれば、日常生活が劇的に変わる。

これらの先入観は、ネットや医療関係者からの情報がもとになっていました。しかし、僕自身が呼吸器を使用してみると、事実は大きく異なっていました。

具体的には、

■1.食事の問題に関して、喉頭全摘術を受けたことで問題なく食事ができている。

■2.呼吸器の設定を自分に合わせて調整したため、非常に快適である。

■3.呼吸器をつけても、仕事や社会活動に従事することが可能であった。

■4.現代の技術では、自動吸引装置を使用して痰の吸引を減少させることができる。

■5.外出や旅行、さまざまなレジャー活動に参加することができている。

■6.経済的な負担は、前と変わらない。

■7.日常生活において、大きな変化は感じられない。

呼吸器を使うことの真価は、使用目的によって大きく異なります。僕の場合、生活の質を向上させるためのツールとして呼吸器を利用しています。しかし、多くの人が「延命処置」としてのみ呼吸器を捉えており、そのネガティブなイメージが未だに根付いています。

僕たちが持つべきは、開かれた心と新しい視点。先入観や偏見に囚われず、真実を自分の目で確かめることの大切さを、僕の経験が示していると信じています。

人工呼吸器の機種変更

数年後、僕は新たなステージへと進みました。自身の会社を立ち上げ、改めて、「これからも全力で仕事をやり遂げるんだ」と固く決意しました。この新たな決断と共に、呼吸器の新しいパートナーを探し始めました。

呼吸器業者の方に相談を持ちかけ、「僕の日常生活に合わせた呼吸器を見つけてください」と頼みました。そしてそれは僕の様々なシーンで使える、シーンごとに設定が変えられる呼吸器でした。日常のさまざまなシチュエーション - パソコン作業、睡眠、食事、外出時 - それぞれに適した呼吸パターンが必要でした。さらに、無気肺予防のための深呼吸機能も欲しかったのです。

ある時、まさに求めていた呼吸器を見つけ出してきた業者の人が提示してくれました。早速、その呼吸器を取り寄せ、医師に相談し、必要な設定調整を進めてもらうことになりました。全てが最適なバランスで合うようにするには3ヶ月の月日が費やされました。そんな緻密な調整を受け入れてくれる医師は稀有であり、とても有り難いことだと感じています。

その後、僕の日常は、新たな呼吸器の支えを得てさらに快適に進行しました。僕はいくつものシーンでその呼吸器を使用していることを忘れるほど、自然な呼吸を取り戻していました。人工呼吸器メーカーの人々までが驚くほどのフィット感を実現しています。僕自身が「セミオーダーメイド」と表現するこの状態は、たゆまぬ努力とコミュニケーションによって得られたものです。

新しい呼吸器のおかげで僕は"生きる"ことの本当の意味を理解しました。そして、人生のそれぞれの瞬間を最大限に生きる覚悟を持ち続けています。「ガッツリ生きる」、それが今の僕の人生観です。

再び人工呼吸器の機種変更

この人工呼吸器のおかげで社会復帰も果たせました。食事も楽に取れるようになり、普段の生活の中でさえ、装着していることを忘れるほど体と一体化していました。しかし、製造中止になったため、重い心でお別れすることとなりました。感謝の気持ちでいっぱいです。長い間、本当にありがとう。

新たな呼吸器(伴侶)を探す旅の始まりは、突然の衝動からでした。僕がこれまで使っていた呼吸器と、将来的に取り入れたい技術や機能とのギャップを感じたからです。それを埋めるため、僕は自ら行動しました。そして、一番大切なのは、医療機器なので、事前に主治医に伝えることを絶対に忘れてはいけません。

まず始めのアクションとして、僕は人工呼吸器の取り扱い業者にメールを送信。興味を持っていた機種の詳細や新しい情報を伝えました。それから数日後、予想以上の反応があり、日本の代理店の方が直接自宅まで、要望した2種類の人工呼吸器を持ってきてくれました。それは感動的な瞬間でした。

その2つの人工呼吸器を目の前にして、技術の進化や時代の変遷を肌で感じました。1つ目の呼吸器は、これまで別々に扱っていた5つの機能を一体化。もう1つは、2つの基本的な機能を持った呼吸器。この選択肢があることに感謝しました。

僕が選んだのは、人工呼吸器と排痰補助装置の2つの機能を一体化したもの。この選択の背後には、以前からのリサーチや学び、そして僕自身の ニーズがありました。特に、2つの設定が簡単に切り換えられる点、そしてカフアシストが内蔵されている点が大きな決め手となりました。

新しい人工呼吸器に関して、僕だけでなく、関わった全ての人々も大変満足していることを伝えたい。これは、新しい時代の人工呼吸器の魅力と、その可能性を感じさせてくれる体験でした。

ユーザーからの提言

・他の患者さんやその家族へのアドバイス

今、僕は人工呼吸器を用いた生活に警鐘を鳴らす者として、同じ道を歩む他のAL患者にアドバイスを提供しています。僕が学んだことは、慣れることに頼らず、自身の体と向き合い、必要な調整を恐れずに行うことの重要性です。

医療機関や製造業者への提言

僕の場合、自分の選んだ人工呼吸器を使用することで、生活の質が向上し、社会復帰が可能となりました。また、僕の意志を尊重し、積極的に支持してくれた主治医の存在は、僕の決断を強く後押ししました。

しかしながら、人工呼吸器の選択は病院の取引業者の推奨により決定されることが一般的であるという現実です。これにより、医療の現場で商業的利益が患者の意志や利益を上回る可能性があることを示唆しています。

しかし、医療の現場においては、何よりも患者の利益を最優先に考え、その意志を尊重することが最も重要だと僕は強く信じています。患者自身が自分の治療について意思決定する権利を持ち、その意志が尊重されることによって、より良い医療環境が形成されると確信しています。

僕の経験が、これから人工呼吸器の選択を迫られる患者さんやその家族の一助となり、医療の現場における患者中心の視点がさらに強化されることを願っています。

最後に

ALSのマイナスイメージというものは、実際よりも巨大で、ときに恐ろしいものです。

常にALS患者とその家族は、人生の大きな選択を迫られます。たとえば、人工呼吸器を装着するかどうかのような選択です。こうした選択は、患者や家族が呼吸器に対してどのように感じ、どのように考えているかで、その未来が大きく左右されます。

一部の人々は、人工呼吸器をつけると「寝たきりになる」「人生が終わる」「大変な介護が必要になる」「迷惑をかける」とネガティブに捉えることがあります。僕自身は、そうしたイメージは他者が勝手に作り上げたものだと感じています。何故なら、イメージの持ち方が現実を作り出すからです。ネガティブなイメージを持っていると、そのイメージ通りの未来を作りやすくなる傾向があります。

僕たち夫婦も、呼吸器をつけると大変な介護が必要だと言われたことがありました。でも、僕たちはネガティブに捉えず、これまでの生活を続けることを決意しました。現在、僕は想像以上の充実した生活を送っています。僕たちの人生は、自分たちがイメージして、行った通りに進むものです。だから、患者や家族、医療従事者全ての人がどういう未来を描くか、それがとても重要だと思います。

 1日3回自発呼吸のトレーニングをしています。

 

以上

 

中野玄三さんは、ALSを乗り越えるための情報発信を、アメブロに投稿されておられるのでリンクしておきます。

ALS生活30年の経験を持つ会社経営者です。 (ameblo.jp)