2018年1月6日(土)
折角なので、中山くんのプロフィールについて少し補足しておきます。
“近大マグロ〟
中山くんは、今ではすっかりマグロの養殖の事ばかりが注目されてしまい、世界的にもそのイメージが定着してしまった感はありますが、関西私立大の名門、東大阪(八尾)地域を主な縄張りとし大阪のコテコテ感がハンパない事でも有名な、あの由緒正しい近畿大学の出身です。
また、アメリカンフットボール部では、四回生時にはディフェンスの中心メンバーとして活躍し、併せて副将としてもチームを支えました。
現役時代のポジションは、LB(ラインバッカー)。
【 近畿マグロ大学のHPは、↓こちら 】
https://www.kindai.ac.jp/
当時の近大では珍しく、大学に進学してからアメリカンフットボールを競技し始めました。
聞くところによると、高校を卒業するまでずっとサッカーに打ち込んでいた中山くんは、近大へ進学後も引き続きサッカー部へ入部しようと考えていたそうですが、いざ入学してみるとスポーツ推薦以外の一般入学の学生については、入部を受け付けてもらえなかったそうです。
野球部などの他の体育会系クラブについても、大半が同じような仕組みだったそうです。
他所(よそ)の大学の事について部外者の僕があれこれと意見するのは、如何(いかが)なものかとは思いますが、それにしても勿体ない話ですよね。近大のようなマンモス校だと、スポーツ推薦で入学した選手よりも優秀な学生が、潜在的にそこそこいるはずでしょうからね。
そのような環境の下、サッカー以外で興味があった競技(部活)の中では、唯一アメリカンフットボール部だけが、一般入学の学生にも門戸(もんこ)を開いていたため、入部を決意したそうです。
恐らく、高校のクラブ活動として、アメリカンフットボール部が存在するような学校がその当時は多くはなかったので、高校生の競技人口自体が、そもそも他の競技と比較すると少なかったからでしょうね。
とは言え、入部してみると同じ学年の同期部員は、ほぼ全員が高校時代にアメリカンフットボールを経験しており、しかも、皆スポーツ推薦で入学していたそうです。同期の内、スポーツ推薦で入学してきた部員だけで20名近くはいたそうです。
確かに当時の近畿大学と言えば、フィジカル(肉体)的に強くて身体能力の高いアスリートが沢山揃っているという印象が強かったですからねぇ。
まぁ、実際にその通りでしたからね。
行った行った、何となく覚えてるわぁ。
あれは多分1994年の春、僕らが三回生になったところやったんとちゃうかなぁ、JV戦で行ったんやろう確か。
僕、徹夜明けで近大のグランドに行った事を覚えてるわ、ナメてるよな。
もう時効やから言えるけどな、前日の夜から先輩のお宅で徹マン(徹夜で麻雀)してて、一睡もせずにそのまま試合しに行ったんや。
僕も出場してたけど眠たかったんやろうなぁ、練習試合の内容は全く覚えてないわ。
近畿大学のグランドへ練習試合(JV戦)に行った時の昔話をしました。
※ JV戦とは、四回生を除いた三回生以下のメンバーで行う練習試合のことを言い、経験値の少ない下級生に経験を積ませるという目的があるのは当然ですが、この他にも対戦相手のチーム戦力の奥行きを探るという事と併せて、試合を通じる事により翌年度におけるチーム作りのために、その時点での課題を洗い出すという意図があります。
徹マンのメンバー、思い出したわ。
四回生は、試合に出なくてもエエから寝んでも大丈夫やろうという事で、前日の夜に西中さんの家に集まって麻雀しようて誘われたんや。先輩に誘われたら後輩の僕は断られへんやん。
織田さんと裕大さんと、確か同期のユイトくんもおったんとちゃうかなぁ。ユイトくんと僕は三回生やったから、当然試合に出なアカンのになぁ。
五人で、四人打ちしたんか、三人打ちしたんかは覚えてないけどなぁ。
↓ 当時の四回生。
上段左: 西中先輩、上段右: 織田先輩。
下段: 裕大先輩。
↓ 当時の三回生。
僕の隣が、同期の唯人(ユイト)くん。
うん、そうやでぇ。
中山くんと僕の共通の友人で言うと、甲南大学だと西尾くんが浪速高校の同期やな。
近畿大学だと、平井くんと佐藤(ガジ)くんが同じく浪速高校アメフト部の同期やわ。
まぁでも、三回生の時は僕ら(甲南大学)が負けてるから公式戦での対戦成績は、一勝一敗やなぁ。
この後しばらく、僕達が大学四回生の時に開幕戦で対戦した際の懐かしい昔話や、浪速高校で僕と同期だった平井くんやガジロー(佐藤くん)の話題で盛り上がりました。
なかでも、近畿大学の主将だった平井くんの話題ついては、僕が今まで知らなかった彼の恥ずかしいエピソードを中山くんがいくつも教えてくれたので有意義でした。
今後、平井くんと口喧嘩になったとしても絶対に負ける事のないように、大きなアドバンテージとなるであろう、とっておきの切り札を頂きました。
中山くんは、1995年シーズンの開幕戦で遠藤くん(甲南大学)とマッチアップした際の、当時の記憶が未だに消えないそうで、トラウマになっているみたいです。
1995年シーズン、対戦後に遠藤くんがオールジャパンに選出された事が、中山くんにとってはせめてもの救いになっているそうです。
遠藤くんの底力、流石に元ALL JAPAN(オールジャパン)というだけあります。
大病を患い一時はホンマに死にかけて、現在も重度の後遺障害が残っているにも関わらず、トレードマークの出っ歯(でっぱ)については、現役当時のまま、未だに健在です。
中山くんが、トラウマになるのも頷けます。