12月10日(日)
アカン、ぜんぜん寝られへんわ。
どうやら日付変更線は超えたようですね。
もう一度、12月9日(土)のやり直しです。
この後、二時間ほどウトウトしました。
朝食メニュー。
コストの削減を図っているのでしょうか。
スープ屋さんとタイアップしているようです。
これまた見た目に反して美味しかったです。
このお店のことは全然記憶になかったというか知らなかったのですが、カミさん曰く、僕が東京で暮らしていた10年以上前から存在していたようです。
表参道駅構内にある店舗をはじめ、カミさんはよく利用してたみたい。
もう随分と昔の話になりますが、NYニューヨークへは一度だけ行ったことがあります。
1996年、大学を卒業する直前の二月頃だったかな。
生まれてから大学を卒業するまでは大阪で暮らしていましたので、当時開港間もない関空(関西国際空港)を初めて利用したことを覚えています。
当時、日本からNYニューヨークへの直行便は成田空港からしか飛んでなくて、関空からの便はLAロサンゼルスで乗り換える必要がありました。
ロサンゼルス国際空港への到着が遅れたためか?理由が何だったのかは忘れましたが、ニューヨーク(JFK国際空港)行きの便に乗り遅れそうになり、LAの空港内を平井くんと二人で猛ダッシュしたことを思い出しました。
平井くんは浪速高校アメリカンフットボール部のチームメイトです。
高校三年生の時はクラスも同じでした。
この時は、大垣くんというアメフト部ではなかったのですが同じくクラスメイトで平井くんと共通の友人が、当時、高校卒業後留学のため、長らくNYニューヨークで暮らしていたことから、彼を頼りに一週間程度滞在する日程で旅行することになりました。
本当に不思議なものです。
高校を卒業してから大学進学後、僕の記憶では四年間のあいだに平井くんとプライベートで二人っきりで会うことなど絶対にあり得ませんでした。
覚えているのは、大学四回生時、1995年八月のお盆が明けた頃、高校三年生当時のクラスメイト数名で同窓会をするからということで案内があり、僕もその会に参加することになったんです。
すると、その同窓会には平井くんも出席しておりその場は異様な雰囲気になりました。
二人が会話を交わすことなど勿論なく、視線が合えば、お互いに激しく睨み合いのみが続くというような状態でした。
どうしてこのような状態になったのかと言うと、高校卒業後、平井くんは近畿大学へ、僕は甲南大学へとそれぞれ進学し、大学でも二人共アメフトを競技し続けておりました。
そして、お互い最終学年として迎えた1995年シーズン、関西学生秋季リーグ戦の両校における開幕戦が近畿大学 vs 甲南大学というカードになったわけです。
この同窓会の数週間後には対戦を控えている訳ですから、お互い会話ができるような状態にないのは当然ですね。
ましてや平井くんは当時、近畿大学の主将を務めておりましたから。
ところが、四回生学生最期のシーズンが終わると、これまで何事もなかったかのように、お互い元々の友人関係に戻るわけですから不思議なものです。
その平井くんから、今回出発する日の前日、昨日かな?あー、もう日付けが変わったから一昨日になるのかな、彼のお母様が亡くなられたという訃報が届きました。
享年75歳だったそうです。
平井くんのオカンと言えば、そのキャラの濃さというか押し出しの強さに関しては、浪速高校アメフト部同期のオカン連中の中でも、三強の一角を占めるような強烈な存在のお方でした。
因みに、あくまでも僕のイメージですが、その三強とは、
1位 ガジローのオカン
2位 梅尾くんのオカン
3位 平井くんのオカン
この御三方は、" ザ・大阪のおばちゃん " を絵に描いたようような方達です。
改めまして、平井くんのオカンの御冥福をお祈り致します。