〝 明日放送 〟
先日、東京都立神経病院で作業療法士として、ご活躍されておられる本間武蔵先生より番組放送のご案内を頂きましたので、ここに転載させて頂きます。
関東圏にお住まいの方は、是非!
以上
2018年1月29日(月)
竹本さん(Sさんの義理のお父さん)のお話によると、現時点でSさんご本人は病気になってしまったことについて、この病気とこれから先どのように向き合っていけばいいのか等考える余裕がなく、今は只々そっとしておいて欲しいというのが正直な心境のようです。
ですから、今回の家族旅行に関しても全て竹本さんが主導して計画されたものだそうです。
で、竹本さんが旅行先に何故山口県を選択したのかと言うと、現在、Sさんを取り巻く医療現場の環境と、僕のブログを見て得た情報とを比較してみたところ、何点か疑問に思うところや質問したい事があったようで、それらを解決するためにも直接僕に会って話を聞いてみようということになったそうです。
その疑問点とは、次の三点でした。
1. 一点目は、ラジカット治療に関すること。
ラジカットについて、Sさんの主治医の先生に問い合わせたところ、そのような治療(エダラボン『商品名: ラジカット』)をするには、「まだ、早い」と言われてしまったそうです。
驚きました。当然、このような話を聞いたのは僕は初めてです。当事者ではありませんし、ましてや僕はお医者さんでもないので、無責任なことは言えませんが、少なくともこの治療法がALS患者に対して有効とされているのは、比較的軽症な病初期の患者を対象としたものであるということが通説となっているはずです。
確かに、僕自身もこの治療を受ける前に臨床試験のデータ等を見て自分なりに調べてみたところ、その効果の程(ほど)については疑問がありましたし、同じような印象をお持ちのお医者さんがいらっしゃることも事実だと思います。
けれども有効な治療方法が無いなかで、このラジカットは、僅かながらでも進行を遅らせる効果があると、正規の手続きを経て国から認められた治療であるということも事実です。
「まだ、早い」と仰られた、Sさんの主治医の先生の真意が何なのか、僕には分かりません。
この発言が事実だとするならば、いわゆる難病と言われている、未だ効果的な治療法が確立されていない病気を抱えた患者に対する医師の姿勢が問われるような出来事だと思います。
僕が検査のため大学病院に入院していた頃、「福島さんの病気は、alsです」との確定診断を受けてから数日後、この治療を受けるかどうかまだ迷っていた時に、山口大学医学部の学生が、夜遅く、消灯後に僕のベットまでわざわざやって来てくれて言われたことを今でも覚えています。
「福島さん、ラジカットの治療を受けるつもりがあるなら、早く始めたほうがいいです。」
「統計上、この治療法は早ければ早いほどより効果があるということを、データが示していますから・・・」
2. 二点目は、マイボイスについて。
なんと、このマイボイスに関しても、Sさんの主治医の先生に相談したところ「まだ、早い」って言われたそうです。
もう、こうなると僕には全く理解できない状況なので、声を保存しておくつもりがあるのなら早急に東京へ行くべきですよ、と進言させて頂きました。
とりあえず自身の声の素材さえ録音しておけば、マイボイスのシステムを利用するかしないかは、後から判断すれば良いことですからね。
それにしても、症状として既に構音障害が出現しているというのに「まだ、早い」って。
構音障害とは、平たく言うと発声障害のことで、症状が進行すると本人は話し辛くなっていき、その聞き手側は聞き取り辛くなっていきますので、次第に本人の声でコミュニケーションを図ることが難しくなっていきます。
「マイボイス外来」を受診するためには、東京へ行かなければならないので、もちろん交通費等の費用がかかるため、経済的には負担になりますが、それだけの価値はあると思います。
ちなみに「マイボイス外来」を受診すること自体は医療保険が適用されますので、通常ほとんどの方は3割負担で済むと思います。
東京都立神経病院の本間先生には、後日ウチのカミさんの方から、Sさんのことに関してメールで一言連絡しておく事にしました。
3. 三点目は、問い合わせ等の窓口について。
山口大学医学部附属病院の診療連携室や宇部記念病院の地域連携室のように、患者の諸々の相談事等に対応して頂ける窓口が、現在、Sさんが通っている病院には存在しないそうです。
そのため現在のところ病気に関連するほとんどの情報(治験、医療費、福祉機器、行政サービス、各種の手続き等々)に関しては、竹本さんと娘さんがインターネット等を通じて自力で収集されているそうです。
これではやはり限界があります。
この点については、難病を抱える患者をバックアップする態勢が整っている環境なのか否か等、暮らしている地域によっても事情が異なるのかもしれませんので、正直なところ僕にはどうすれば良いのか分かりません。
〝 日本ALS協会 〟
各地域ごとに支部が設けてられているみたいなので、恐らく患者にとって有益な情報が蓄積されているであろう日本ALS協会に加入して、その協会から情報を提供してもらえば良いのでは?ということぐらいしか、この場では思い浮かびませんでした。
ただし、僕自身が病気になってからこれまでのところ、日本ALS協会に加入したことがありませんので具体的なことは一切分かりません。
【 日本ALS協会HP 】
http://alsjapan.org/
【 日本ALS協会 近畿ブロックHP 】
http://alskinkisince2016.wixsite.com/als-kinki-block
大好物のお土産を頂いちゃいました。
有り難く頂戴致します。
病気になり診断が確定してから、まだ気持ちの整理がついていないのにも関わらず、偉そうなことを言ってしまうけどゴメンなさいね、先に謝っておくわ。
最後に僕は、Sさんに対して次のようなお話をしました。あー、これは僕自身に向かって言っていることでもあるので、これを見て不快な思いをされた方がいらっしゃったとしても苦情は受け付けませんので、悪しからずご了承を。
病気になってしまったことについては今更考えても仕方がないから諦(あきら)めろ、ほんで、この病気に早く慣れろ。僕が思うにこれが一番気分が楽になる方法やと思うで。
気持ちが落ち着いてからでいいけど、キミの手が動いとる間に病気のことについて、もっと自分でちゃんと調べろ。スマホが一台あればそこそこの情報は得られるはずやから。情報量は決して多くはないからすぐ済むわ。
一通り調べたら、現在の自分の症状と照らし合わせてみて将来自分の身体に起こりうることをイメージし、ほんで、それに備えろ。ここまでしたら後はこの病気のことは忘れてしもたらええねん。しつこく言うけど、病気のことばっかりいつまでも考えてても仕方がないからな。
今後、キミがどういう選択をするのかは知らないけども、自分が望みさえすれば、この病気が直接の原因で命を落とすことはないからな。
もちろん人工呼吸器を付けるとなったら、家族が被るであろう負担は計り知れないし、完全に閉じ込められた状態(TLS)なんかを想像したら簡単には決められないやろうけども、それでも生きるか死ぬかを自分の意思で選択できるっていうのは、不幸中の幸いでラッキーやで。
最後に、義理のお父さんに感謝せなあかんで。血の繋がりもない人間にこんなに必死になってくれる人はなかなかおらんで、ホンマに。
こんなお話を二時間ほどして、最後は少し表情の明るくなったS君と握手をしてお別れをしました。
今夜は、みなさん湯田温泉に泊まって、明日は下関で名物の瓦そばを食べてから大阪へ帰られるそうです。
それでは竹本家とS家のみなさん、残りのご旅行を楽しんでって下さい。
2018年1月29日(月)
点滴治療を受けるために山口大学病院へ行ってきました。
ラジカット点滴、第12クール六日目。
効きますように。
一旦、帰宅後。
本日は、午後から大阪からのお客さんとお会いする約束がありますので、これから小郡(JR新山口駅)に向かいます。
JR新山口駅前のホテルに到着。
B1(地下1階)にある中華料理店へ。
まずは、カミさんと二人で腹ごしらえ。
なんか少し緊張するなぁ、どういうお話をしてあげたらええんやろうか。
おっ、きたきた!
久しぶりやな。
ランチタイムのサービスメニューをオーダー。
好物の担々麺に量少なめの高菜炒飯がついてきました。
カミさんは、担々麺単品。
ではでは、
いただきまーす。
食後。
同じホテル内の2階、待ち合わせ場所となっている喫茶ルームへ移動。
IN。
もう昨年の話になりますが、このブログの読者の方からご連絡を頂き、本日これからお会いすることになっています。
あっ、いらっしゃったようです。
「あぁ、どうも初めまして、ふくしまです」
「そうですそうです、僕も元々は大阪です」
「住之江区の北加賀屋という所の出身ですわ、大阪市の一番南側です、、、そうそう、めちゃめちゃ上品でガラも良くて住みやすい所です」
「・・・・・???」
「すみません竹本さん、大きな嘘をついてしまいました」
「あー、バレてましたか、そらそうですよね、大阪の方なら直ぐに分かりますよね」
お互いの自己紹介をしつつ簡単にご挨拶。
昔は飛んでいたみたいなのですが、現在は大阪から山口への飛行機の便がないため、関空から北九州(福岡県)を経由して、レンタカーでこちらまで来られました。
この度、竹本さんは温泉に浸かって美味しいものでも食べて、義理の息子さんを励まそうと、ご家族四人で旅行(福岡・山口)にいらっしゃったそうです。
それでは、ご紹介させて頂きます。
通称 Sさん。
大阪府豊中市、在住。
丑年(うしどし)生まれ、僕よりちょうど一回りお若いです。新婚さんですが、奥様(竹本さんの娘さん)とは、10年くらい、お付き合いされていたそうです。ウチと同じく、まだ、お子さんはいらっしゃいません。
昨年の10月頃?に大阪の病院で、僕と同じ病気である筋萎縮性側索硬化症(通称 ALS)との確定診断を受けました。
初発の症状は、構音障害からだったようです。現在は、その構音障害の進行と併せて片側の手先が動かし辛(づら)くなっています。
お話をしている限り単語などの短い言葉は、まだしっかりと聞き取れますが、確かに会話が続くと聞き取り難(にく)い部分もあり、ご本人も時より発語し辛そうな表情を浮かべておりました。
2018年1月28日(日)
さ・い・しょ・は、✊グー
じゃ・ん・け・ん
ぽ・ん!
見事、一発で勝ちました。
〝 つっちー 〟こと土屋代表、Good Job です!
勝利を祝して、皆んなで記念撮影。
続いて、よっこんファミリーと記念撮影。
ご家族は五人ですが、一番上のお子さんが受験を控えているそうで、本日は奥様とご自宅でお留守番をしています。
よっこん、今日はありがとう!
フィールド内では、上位入賞チーム等が参加して閉会式が始まりました。
シニアカテゴリー(45歳以上)で優勝したのは、法政大学。そして、レギュラーカテゴリー(35歳以上)では、東京大学が優勝しました。
大会代表者の堀古氏が、閉会の挨拶冒頭において、東京大学の優勝について触れた際には、会場内は大いにウケて皆さん盛り上がりました。
「学力でも負けて、体力でも負けて・・・・」
まさに、現代の日本社会における縮図を象徴するかのような結果となりました。
推測するに、彼らは勉強であろうがスポーツであろうが、やるからには何事においても、まずは、No.1(一番)になる事を最優先にして思考を巡らせ、そして、その目的を達成する為に導き出された方法に基づいて忠実に行動しているんだろうなと思い、改めて感心を致しました。
一番を目指した結果、二番になってしまうことはあっても、この逆、二番を目指した結果、一番になることなど絶対にあり得ませんからね。
閉会式が終わりました。
後片付けも一通り済んだようです。
皆さんとのお別れの時刻が迫って来ました。
土屋さん、この度はホンマに何から何までお世話して頂いて、ありがとうございました。
最後に皆んなで記念撮影。
⁉︎
あー、ヤント(山本)さんスンマセン。
カミさんとカメラマン交代。
タクシーが来ました。
皆さん、どうも有難うございました。
首藤先輩、失礼します!
土屋さん、重ね重ねありがとうございました!
神谷くん、ばいばーい。
本来、移動中はあまり眠らないタイプなのですが・・・。
無事、宇部の自宅に帰宅後、FBに投稿。
2018年1月28日(日)
皆さんは試合前のウォーミングアップを開始しました。
試合開始。
試合は両チーム共に得点を奪い合う展開。
そして迎えた、後半最初の甲南大学のオフェンス(攻撃)。
なんと! 僕に出番が回ってきました。
ショットガン隊形からRBの位置にセット。
QBを担当するのは、同期の加藤くん。
♯15僕へのピッチフェイクから♯70加藤くんが、♯16シノさんへロングパス。
しかし、京都大学のディフェンスに阻まれて惜しくも不成功。
1プレイだけでしたが、皆さんのご厚意により再びフィールドに立つことができました。
感謝感謝です。
いやぁ、それにしても京都大学のディフェンスは、僕と加藤くんのフェイクに1ミリも引っかかりませんでしたね。
さすがに偏差値が高いだけあります。僕たちが考えそうなことなど全てお見通しのようです。
なんか嫌な記憶が蘇ってきたなぁ、加藤くん。
京都大学と言えば、僕たちが四回生だった当時の悪夢が蘇ります。1995年シーズン関西リーグの第3戦目、本当に気持ちのイイぐらい完膚なきまでに、けちょんけちょんにヤられました。
その試合、僕はQB竜太郎くんからのフラットゾーンへのパスを受けとった後、芝生に足を取られて自爆し左膝前十字靭帯を断裂。結果、僕はその試合を最期にシーズンエンド(終了)。
京都・宝ヶ池球技場、慣れない天然芝の混じったスタジアムで、試合当日に張り切ってスパイクのクリーツを新品の長めのものに交換した事が、仇(アダ)となりました。
今思えば、こうしてフィールドに立って試合に出場したのは、あの時の京大戦以来かもしれません。
当時我々が負けたから言うわけではありませんが、あの1995年シーズンの京都大学のディフェンスはホンマに強かったと今でも思います。
そのシーズン、京都大学は関西リーグを全勝で制覇し、続く甲子園Bowlでも勝利を収め、見事日本一に輝きました。
⁉︎
なんと ! またもや・・・、
昨日の関学戦に引き続き、同点のまま時間切れとなり試合が終了しました。
⁉︎
⁉︎
交流戦なのにもかかわらず、また、ジャンケン大会して白黒ハッキリつけるみたいです。
2017年1月28日(日)
ハドルボウル2日目。
トーナメントに関しては、レギュラー、シニア両カテゴリー共に、昨日、2回戦で敗退してしまいました。
そのため本日は、午後からレギュラーチームが交流戦を一試合だけ行う予定になっています。
対戦相手は、同じ関西勢の京都大学。
スタンド観客席へ。
⁉︎
おーっ、久しぶりやなぁ、ヨッコン。
やっと会えたな。
紹介します。
通称 よっこん。
甲南大学アメリカンフットボール部で、僕の一年後輩。ポジションは僕と同じRB(ランニングバック)。
高校時代からRBとして活躍していたことから、彼は大学へ即戦力として入学し、下級生時よりRED GANGオフェンスの中心選手として、周囲の期待通りチームに貢献しました。
僕達が卒業した後の1996年シーズンには、主将という重責を担いチームを牽引しました。
非常にメンタル(気持ち)の強い人間です。
おぅ、ヨッコンが今日顔出すことは昨夜二次会の時に北詰くんから聞いてたから、楽しみにしてたんや。
僕の病気のことや近況等について、簡単に説明しておきました。
我々が現役時代にRED GANGの監督を務められて、大変お世話になった阿倉さんも交えて記念撮影。
ヨッコンの二年先輩にあたる城サキさんが到着しました。
お二人共、星陵高校アメリカンフットボール部の出身です。
⁉︎
近畿マグロ大学のB作さんが登場。
ヨッコンがお子さんを連れてきていたので、B作さんが気を使って〝ゴリゴリバーガー〟を差し入れして下さったようです・・・が、
⁉︎
酷い親です、ヨッコンは。
お子さんを差し置いて、自身の食欲を満たすためにB作さんからハンバーガーを頂くなり、迷わずパクリ。
浪速高校アメリカンフットボール部で僕の大先輩にあたるB作さんは、ヨッコンと同じ会社に勤務しています。
数が合わなくなり再び〝ゴリゴリバーガー〟を買い出しに。
【 ↓ゴリゴリバーガーHP 】
http://gorigori.beer/
【 ↓ ゴリゴリバーガー食べログ 】
https://search.yahoo.co.jp/amp/s/s.tabelog.com/tokyo/A1307/A130701/13201280/top_amp/?usqp=mq331AQGCAEYASgB
試合まで時間もあるし、折角やから昼食兼ねてお茶でも行こか。
同期&後輩の数名でファミレスへ移動。
ファミレスに到着。
着席。
記念撮影。
食事中、後輩達の仕事のことや家族の話等、近況を聞きながら束(つか)の間のひと時を過ごしました。
ハッシーこと同期の橋本くんが、皆んなの分をご馳走してくれました。
ハッシー、いつもスミマセン、ごっつぁんです!
2018年1月27日(土)
⁉︎
どしたん神谷くん?
別の部屋で飲んでいた後輩の神谷くんが、平井くんを呼びにきたみたいです。
甲南陣営に一人で乗り込んでいった近畿マグロ大学の平井くん。
挨拶がわりに一気飲みをお披露目したところ、温かく迎え入れてもらったようで、ご満悦の様子です。
時間制の飲み放題コースだったため、これにて二次会終了。
三次会は、カラオケ。
初めて聞いたのですが、平井くんによると東京のカラオケボックスでは、上半身裸になるのがマナーになっているそうです。
知らない間に随分と世の中が変わっていたみたいです。
僕が暮らしていた頃はそのようなマナーはありませんでしたけど、東京を離れてからもう10年くらい経ちますからね。
おっ平井くん、気が利くな。
なんだか、この二人面倒臭いです。
⁉︎
乗っかるんだ、キミも。
永峯くん、僕も一々相手するの疲れてきたわ。
⁉︎
早っ!
永峯くんと加藤くん、力尽きたみたいです。
カラオケボックスで一時間ほど過ごして、三次会はお開きとなりました。
二次会、三次会と同期の皆んながご馳走してくれました。
ごっつぁんです!
⁉︎
ラーメン?
皆んなからラーメン食べに行こうか、て誘われましたが僕とカミさんはここで失礼させて頂くことにしました。
長い一日が、ようやく終わりました。
ホテルに帰って眠ります。
〝 治験 〟
現在私は治験に参加しており、本日はそのための定期検査と診察を受けるために、山口大学医学部附属病院へ行ってきました。
昨年2017年11月より12週間(約3ヶ月)に渡る前観察期間を経て、今年の2月8日から治験薬の投与が始まり間もなく2ヶ月が経過します。
検尿と血液検査の結果を受けて、今回私が参加している治験をご担当されている神経内科医のK先生による診察を受けてきました。
治験薬の投与による副作用らしきものはありませんでしたが・・・、
⁉︎
〝 尿路感染症 〟
いわゆる膀胱炎(ぼうこうえん)みたいなものでしょうか。
心当たりは、アリアリです。
最近、身体が思うように動かないのでトイレに行くことが億劫になり、尿意を催しても多少我慢してしまうことが習慣になっていました。
もちろん、alsや治験に参加していることによる直接的な因果関係はありませんが、気をつけないといけませんね。
という訳で治験薬と併せて、念のためK先生が、抗生剤?のようなお薬を一週間分処方して下さいました。
↓ こちらは治験薬。
折角なので、現在私が参加している治験について、少しご説明しておきたいと思います。
まずはじめに、
〈 治験とは 〉
新しいお薬が一般的な治療に使われるようになるまでには、まず製薬会社等の研究室で化学的に合成されたり、天然に存在している物質からお薬になる候補を選び出すことから始まります。
次いで、動物等で試験が行われた後、健康なボランティアや患者の協力を得て、国からお薬として認めてもらうために、有効性(効き目)と安全性を確認する試験が行われます。この試験のことを〝 治験(ちけん)〟と言い、治験で使われるお薬のことを〝 治験薬 〟と言います。
〈 治験の前後の流れ 〉
1. 基礎研究
まずは薬の候補を選び、その構造や性状等を調べます。その後、動物等を使って有効性や安全性を調べます。
⬇︎
2. 治験
(1). 第I相 … 少数の健康な人に協力して頂き、薬の体内での動きや好ましくない副作用が起きないか等を調べます。
↓
(2). 第II相 … 少数の患者に協力(参加)して頂き、薬の有効性と安全性を調べ、どのように使うことが好ましいか等を検討します。
【 ※ 私が参加している治験は ☝︎ この段階 】
↓
(3). 第Ⅲ相 … 更に多くの患者に協力して頂き、薬の有効性と安全性を検討します。
⬇︎
3. 厚生労働省へ承認申請
⬇︎
4. 承認審査
⬇︎
5. 製造販売承認
⬇︎
6. 発売
⬇︎
7. 試験
第Ⅳ相 … 第Ⅲ相まででは分からなかった予期せぬ副作用等の情報を、一定期間調べ、厚生労働省に報告します。
以上、治験の一般的な流れ等についてご説明させて頂きましたが、以下は、今回私が参加している治験に関して、具体的にご説明させて頂きます。
1. 私の病気(als)について
筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう)とは、主に中年期以降に発症し、上位運動ニューロン及び下位運動ニューロンが選択的にかつ進行性に変性、消失してゆく疾患で、筋萎縮と筋力低下をきたし、2〜5年の経過で嚥下障害や呼吸不全になります。発症率は、人口10万人あたり1.1〜2.5人で、60歳代から70歳代で最も発症率が高く、有病率は人口10万人あたり7〜10人とされています。今から4年前の平成26年度におけるALSの特定疾患医療受給者数は、全国で約9,950人でした。
2. 私が参加している治験とその目的
今回、私が参加している治験は、『孤発性(こはつせい)の筋萎縮性側索硬化症を対象としたE2007(ペランパネル)の多施設共同、二重盲検※a、無作為化※b、プラセボ※c対照、平行群間試験』となります。
その目的は、私のような比較的軽症のALS患者に治験薬(E2007)を飲んでもらい、E2007がプラセボ群に比べALSの進行を抑制する効果があるかを比較することと、その安全性を確認することです。
※a … 二重盲検(にじゅうもうけん)とは、患者にも担当医師にも誰がどの薬(治験薬又はプラセボ)を飲んでいるのか分からない状態にすることで、効き目や安全性の評価に影響がないようにすることを言います。
※b … 無作為化(むさくいか)とは、参加患者がどの群に割り付けられるかは、比較性を保つため無作為(ランダム)に振り分けられることを言い、このような比較試験では世界中で用いられる方法だそうです。
※c … プラセボとは、E2007と外見(見た目)は同じですが、薬の成分を含まず治療効果のない偽薬のことを言います。
何故、プラセボを使うのか?… 薬の成分を含まないにもかかわらず、「薬を飲んだ!」という意識から治療効果が出ることもあり、このプラセボを用いた試験は、治験薬の有効性を科学的に明らかにするために必要な試験となっているそうです。
3. 治験薬(E2007)について
E2007(ペランパネル)は、エーザイ株式会社が開発した〝てんかん〟のお薬で、1日4mgから12mgの用量で海外では日本に先立って使用されており、日本国内では、〝てんかん〟のお薬として承認を得た後、〝フィコンパ〟という商品名で2016年5月から発売されています。
E2007が〝てんかん〟に効く理由は、神経伝達物質であるグルタミン酸が作用するAMPA受容体(グルタミン酸受容体の一種)の働きを阻害し、細胞内へのCa2+流入を減少して、神経細胞の過興奮を抑制すると考えられています。
ALSの9割以上は孤発性で、孤発性ALSの脊髄運動ニューロン変性の病態には、AMPA受容体を介したCa2+細胞内流入増加が関与していることが知られています。従って、AMPA受容体拮抗薬であるE2007は、AMPA受容体を介した細胞内へのCa2+流入増加を阻止し、孤発性ALSにおける病態の進行を抑制する可能性があります。
孤発性ALSと類似のAMPA受容体の異常を持つARマウスにおいては、E2007の投与により運動能力など臨床的有効性も認められています。
このようなことからE2007は、既存の治療薬とは異なり、孤発性ALSの特徴的な病態を阻止するものであり新規治験薬となる可能性が高いと考えられています。
4. 治験への参加期間
この治験の参加期間は、①前観察期間として12週間、②治験薬投与期間として48週間、③後観察期間として4週間からなる全3フェーズ(段階)に分かれ合計64週間に渡って行われます。
従って、私の場合は来年2019年の3月上旬頃まで、継続して参加する予定になっております。
なお、前述のように現時点では投与されている治験薬が、E2007(当り)なのかプラセボ(ハズレ)なのかは、私も担当のK先生も知りません。これについては治験終了後に治験の主催者へ問い合わせすれば教えて頂けるそうです。
以上
本日の午前中、週に一度のリハビリを受けるため、カミさんに同行してもらい宇部記念病院へ行ってきました。昨年の今頃に、外来でお世話になり始めてからちょうど一年が経ちました。
折角なので、一年前と現在を比較してみて、日常生活上、できなくなった事(動作)を簡単に洗い出してみたいと思います。
僕の場合、身体の中心部に近い(近位部)肩周りの筋肉の筋萎縮から症状が現れ始め、現在ではそれが手先の方(遠位部)にまで広がっていることから、日常生活における動作上の制約も以下のように殆どが、これにかかるものです。
① 車の運転
ハンドル操作が不安なので止めました。
昨年の11月にカミさんが運転免許を取得し、彼女が運転に慣れるまでの暫くの間は、たまに運転することもありましたが、昨年12月以降はこれまでのところ一度も運転していません。
② 食事
9割方、カミさんに介助してもらいながら食べています。
辛うじて、お箸、フォーク、スプーン等を握る事はできるのですが、これを口元まで運ぶ動作がなかなか思うようにできません。ただし、お握りやパン類等の直接手で持てるものについては、両手を使えばなんとか自力で食べることができます。
③ 衣服の着脱
パンツ以外の衣服の着脱は、全てカミさんに介助してもらっています。
④ 入浴
自宅で湯ぶねに浸かることは止めています。
これは浴槽を跨ぐ際に脚が思うように上がらず、浴槽のヘリに爪先(つまさき)が引っかかり転倒しそうになったことが、これまでに何度かあった為です。
ですから、現在、入浴についてはシャワーを浴びることで済ませてます。
洗髪、洗顔、身体を洗う、入浴後身体をバスタオルで拭く等、これらの動作は全てカミさんに介助してもらっています。
⑤ その他
髭剃り(電動カミソリ)、ペットボトルやプルトップ缶の開栓、就寝時に掛布団を被る、文字を書く、冷蔵庫を開ける等々、細かい動作を挙げだしたらきりがありませんので、この辺で。
このようにして改めて列挙して見てみると、現在のところ、それほど深刻に考えないといけないような大層な事は何一つありませんね。
久しぶりに地域連携室のOさんとNさんと、リハビリが終わってから少しだけお話しました。
僕がリハビリを受けている最中、現時点における僕の病状や精神状態等の近況及び今後のこと等について、O看護師とカミさんの二人の間で色々とお話(意見交換)していたそうです。
それによると、僕の場合は、いつもカミさんが身近に居てくれて、頼めば何でも面倒をみてくれるような環境が整っているので、少し過保護気味だという話になったそうです。
僕の性格等を勘案すると、病気だからといって甘やかしてしまうと、調子に乗って何でも人にしてもらおうとするタイプなので、できる事はもっと本人にさせて追い込んだ方が良いという結論に至ったみたいです。